くじらの飼い主への手紙

 一昨日、高校時代からの友人から、彼女に女の子が生まれたという連絡をもらいました。そういえば、妊娠したかも・・・なんて私の結婚式に来てくれた時に聞いてはいたのですが、その後すっかりご無沙汰だったのでびっくりしたのと同時に、とってもとっても祝福したい気分になりました。


 彼女は一つ上の学年だったのですがドイツに1年間留学し、高2から私の学年に編入されてきました。温室で大切に大切に育てられた可憐なお花のような人が多かった私の学校の中で、彼女は全く気取りがなく、発想がとにかくユニークで、珠のようにコロコロとよく笑うのでした。なので、私の学年でもすぐに友達ができていたのではないかと思います。確かホームルームは違ったのですが、理系の選択授業で同じクラスになることが多く、気づいたら仲良くなっていました。当時、毎日ゴチンゴチンとぶつからなくてもいいような岩にぶつかってみたり、自分の足につまづいてもう日々歩くのが嫌になっていた私にとって、彼女と知り合えたことはどんなに救いになったでしょう。
学校帰り、下北沢でよく遊びました。学校で散々喋り、帰ってからも電話で喋りました。
彼女は常に人の役に立ちたい立ちたいと思っている人で、高校生の夏に一人で、かのマザー・テレサの”死を待つ人の家”に行ってボランティアをして来た、などと言う人でした。阪神淡路大震災の時も、卒業式の練習ばかりだった日々をさぼって私を三宮でのボランティアに連れ出したのは、彼女でした。そこでの忘れ難い経験は、その後の私にかなり影響を与えていると思います。
大学では同じ学部を目指し、一緒に市谷で浪人生活をしました。でも1年頑張って希望の所へは縁がなく、散々悩んで彼女は看護学部を選びました。もしかしたら、この頃から何かが彼女の中で歪み始めていたのかもしれません。

 お互いバラバラの大学へ行ってからも、彼女と数人との友人で東京で集まって定期的に遊びました。予備校で知り合った彼女のボーイフレンドも、時々一緒だったかもしれません。
北海道へ行きました。沖縄へも行きました。(沖縄の太陽を甘く見ていた浅はかな私は日焼けし過ぎて、自分で歩けなくなりました★)
彼女以外はそれぞれ医学部で勉強をしていて、時に私達だけに通じる話題になることもあったかもしれません。でもとにかくいつも彼女は変わらず楽しそうだったし、それは私達も同じでした。彼女の「とにかく人の役に立ちたい」という、いつも私達が「偉いねえ」と感心していた強い気持ちも、以前と変わらず同じでした。

 そのうちに、彼女が何かに深刻に悩んでいるということが分かってきました。でも情けないことに、何が彼女をそんなに苦しめていたのか、私には結局掴めなかったのです。携帯は持っていたけれど今みたいにメールは身近ではなかったし、連絡の間隔がだんだんと遠くなっていたように思います。たまに電話がかかってくるとそれは大抵深夜で、彼女が混乱しているのが分かりました。でも何だか以前と違って、相談するのではなくて、自分で話したいことを話したいだけ話して、そしてぷっつり終わってしまう。自分の中の物を吐き出したいという以外、こちらに何かを求めているような感じでもないのです。もしかしたら他の人にはまた違っていて、私は彼女にとっては吐き出す先だったのかもしれません。

とにかく、彼女は変わっていってしまいました。いつものように会っていても、以前のように心の底から笑わない。人の話を良く聞く人だったのに、全然耳に入っている様子がない。理由を理解するのが難しかったのだけど、あんなに仲が良くて、段々沈んでいく彼女をよく支えてくれていた彼とも別れてしまった。

しばらく、連絡が途絶えたか、私達が忙しくなったか分からないけれど、しばらく間が空きました。

その後ある日、友人の一人から彼女が入院していることを聞きました。彼女が何度も、自分の肉体を、自分の人生を自らこの世から手放そうと試みたことも。

何だか、泣きながら彼女のお母さんと電話したことを覚えています。彼女のパパは精神科のドクターだったけれど、それは壊れていく彼女にとってあまり意味はなかったみたい。ご家族にとっても、どんなにか辛い日々だったことでしょう。
友人達とも、何回も会って話しました。でも結局私達は、実は彼女の全てを知らず(自分の全ても分からないのに、他者の全てを知るなんて、途方もないことですが)、彼女の真の苦しみを知らず、推測でしか話は進まなかったのです。そして自責と無力感に満たされて、とぼとぼとそれぞれの生活を繰り返すしかなかった。

そんな彼女は何度か繰り返した入院で段々と自分を許せるようになり、人の役に立たなくてはいけないと自分をきつく縛りつけた場所から、徐々に自由になることができたみたい。後から、彼女自身がそう言ってくれました。そしてその後今の旦那さんと出会い、ゆっくりと、ゆっくりとだけど、こちらがびっくりするくらい着実に落ち着いていきました。 頑張って大学を卒業し、遠回りしながらも看護士の免許も、保健婦の資格も取りました。こじんまりと軽井沢で挙げたという彼女のウエディング・ドレス姿は、とっても可愛くて清清しかった。彼女の新居に遊びに行った時、色々な事をくぐり抜けて以前よりまだちょっぴり強張った笑顔の中に、それでも以前のようなキラキラした物がちらりと顔を覗かせていました。


 そんな彼女が新しい命を授かったのだから、私にとっては感慨もひとしお。祝福せずにはいられないのです。ああ、本当に、本当におめでとう!今、あなたがいてくれているだけでもとっても嬉しいのに、さらに命を受け継ぐ赤ちゃんが生まれたなんて。
どうか、あなたと、あなたの旦那様と赤ちゃんに、こぼれるほどたくさんの幸せが訪れますように。自分でも気持ちいいほど、素直に心からそう思います。

休みができたら、必ず、あなたと赤ちゃんに会いに行くからね。とっても楽しみにしているからね。それまでどうか、体に気をつけて。
(あとね、赤ちゃんのことと母体の回復を考えても、ミルクよりやっぱり母乳がお薦めよ 笑)