Afternoon teaにて、輪廻転生を思う

 先日、日中外へ出かける機会がありました。仕事をしていれば当たり前ですが、こんな平日外を出歩くなんてことは滅多にできないので、私としてはかなりウキウキ♪♪と言っても、用事を済まさなければいけないのですけどね。。。用事とは、姓が変わったのでそれに伴う免許の書き換えやら、銀行の名義の変更やら。「色んな手続きが結構面倒だよ!」と耳にしてはいたのですが、本当にこれは面倒です!さらに必要な書類がきちんと揃っていなかった自分の手落ちのせいで、必要以上にますます煩雑になっていました!!キーーー
 どうやら世の中、書類と印鑑で動いているのね。それが揃わないと、私という存在はここにいたって認めてはもらえないのね。。。という現実にいささか疲れてしまい、意外と用事が片付かないことが判明してafternoon tea roomで頭をクールダウンしてしていたところ、お隣のテーブルの会話が聞くともなく耳に入ってきました。
「だからね、死ぬっていう事は今までの体を新しくしてもらうことでしょ。私は輪廻を信じているから、死ぬことは全然怖くないの・・・」
ん??ボサノヴァが流れ、おしゃれな人々がほっとお茶する昼下がりの心地いいafternoon teaに、あまりにも似つかわしくないこの会話。ちらりと目の端で見ると、私の母よりは年がいっていそうな、おばさん以上おばあさん未満といった3人組のテーブルからのようです。
どうやら彼女達のトピックスは、「いかに自分の死を迎えるか」という事みたい。ただ、それを重苦しく話すのではなく、「次はどこに旅行に行きましょうか?」といったような、あくまで井戸端的な、日常会話のような調子で話していることに何だか興味を感じました。「死ぬ時に一人は寂しいから最後まで(旦那さんと)二人がいいけど、こればっかりは一緒にするには心中するしかないもんねー」と言って、紅茶を飲みながら3人で大笑いしてるのですもの。彼女達の会話は時に盛り上がり、時に言葉少なになりつつ、淡々と続きます。
   精神的にも、経済的にも子供から自立して過ごすにはどうしたらいいのか。子供に負担をかけるとどうしてもこちらも引け目を感じてしまうから・・・。
    自分の母が入院して、1ヶ月後に亡くなったの。自分は辛かったけれど、母は生まれ変わりを本当に信じていたから何も恐れず、自分の死を受け入れていてとても立派だった。あの時ほど母を尊敬したことはなかった。それから自分も輪廻を信じるようになったし、自分も死ぬ時は母のように堂々と死にたいと思うようになったの。今は、こんな老いさらばえた体とはおさらばして新しい体をもらえると考えれば、嬉しいとさえ思えるのよ。
     もっと若くして死ぬ人だって沢山いるのに、自分はこの年まで生かされてきたと思う。その分人生の楽しいことも辛いことも散々知ったし、働いて社会にも自分の存在を返せたと思うから、あとはいかに死ぬかが問題でしょう。
      子供を持ったことでどんなに人生が豊かになり、人間として成長できたか。でも子供は社会のもの。大きくして、社会に役立ってくれることまでが自分の仕事だった。
       自分の人生はまあまあだったから、きっと来世も今の旦那さんと出会えると思う。その時は多分時代も、街の様子も変わってるんでしょうねー     などなどなど

 高校生が将来の夢の話に花を咲かせ、働く女性が今後の目標を語り合うように、人生の最後のシーズンに入りつつある女性が将来を語り合うと、自分の死を見据え、来世のこととなるのでしょうか。これって、このくらいの年齢の方の日常会話なのかな??まさかね。それにしてもafternoon teaで、こんな人生の総括について話を聞こうとは思いもしませんでした!
            
  関係ないですが、私を誘惑するヴァレンタインのチョコ。美味しそ♪
 お話を聞いていて、この方々ってとってもいい年の重ね方をしてらっしゃるなーと思いました。色々あったであろう自分の人生について、良かったことも悪かったことも淡々と肯定的。人生の自然な流れの一部として、元気なうちから死について考えているところも何だかいい。そしてその自分の死を、新しい命の始まりとして捉えようとしているところが素敵。来世でまた今の旦那さんと巡り合い、結ばれると思っているところも素敵。何だか手塚治虫の”火の鳥”を思い出してしまいました。私は基本的に年長者の言うことはとっても参考になると思っているので、彼女達の会話も勉強になりました!特に子供を持つことについて・・。(最近考えるらしいです、私 笑) 私は輪廻転生を信じているわけでもないですが、最後の時をどう迎えるか・・・という事は考えてしまいました。とりあえずは思い残すことのないように、今できること、与えられていることは一生懸命やることにしよう!! 
高齢化社会。社会をリタイアしてからもさらに20年くらいの人生が残っている日本。寝たきり、介護問題。膨れ上がる医療費の問題。でも年長者は社会のお荷物ではなく、間違いなく賢者です。それもうまく還元される社会になるといいな。そういえば、母が通っていた上智のデーケン先生のクラスでも、”死の教育”について言っていたっけ。日本人は死についてもっと考えることが必要だって。今度母にも、自分の死についてどう思っているのか聞いてみようーっと。

 印鑑と書類のことなんか小さい小さい!!と思えたafternoon teaでのひとときでした。いや、まあ、それもちゃんとやりますけどね。