競って 競られて

 オークションにはまっています。
そもそもは去年、買い物にはかなり不便なこの土地へ転勤になった私に、私より以前からここに勤務していた女性のオーベンの先生が教えて下さったのがきっかけです。お買い物好きにとってはオークションはとっても便利。そして見ていると、楽しくて楽しくてたまらないの♪♪他にも覚えるべきことは沢山あるだろうに、これはさっさとしっかりマスターして、もうすっかり病み付きになってしまいました。笑
 彼女の教えはただひとつ。
『送料を差し引いて、定価以上ではもう手を出さないこと』
そうですね。頭に血が上ってすごーーく高い値がついている時もありますが、定価以上じゃ馬鹿らしいもの。でももう手に入らないものだったりする場合、そうもいかなかったりするのですが・・・。(ビンテージ品は、まさにこれ)あと高くなればなるほど、逆に欲しくなってしまったり。なぜでしょう??我ながら困ったものです。
きっと皆さんそうでしょうが、あとは自分なりのルールもあります。
ひとつは『あまりに高いものは買わない』
だって、偽物だったら嫌ですもん。そして、それを見抜ける目を自分が持っている気がしないので。
もうひとつは『できるだけ個人や、説明を多く書いてくれている人から買う』です。
その物が前の方に大事にされているかどうか、ですね。いくら安くても、お店で商品を沢山出していて説明もステレオタイプなことだけ・・・というものは、何となく買う気が起こりません。これは好みの問題でしょう。ジーンズとか、絶対試着したい物も買いません。

 
 オークションをやっていて思うのですが、モノの値段て不思議です。
当然ですが、需要と供給で需要の方が多い場合、値段はどんどん上がっていきます。そして不思議なことに、値段がつり上がるにつれて、その物の実質的な価値もどんどん上がっているような感覚を覚えるのです。本当は、見えない価値が上がっているだけなのだと思うのだけど。
だから妙な競争意識で入札したものの、ふと我に返って「待って、これって本当にこれだけの価値がある?」「私ってそんなにこれを手に入れたいと思ってる??」と時々はっとすることもあります。要は、その人にとってどれだけ支払える価値があると思っているか、そういうことですよね。
でもそれを忘れて単なる所有欲(目が欲しがっているだけ)、競争心だけで買ってしまう、なんてこともあり。。。ちょっと反省気味の今日この頃です。高いものは買わない、と言いつつ、ちょこちょこと買っていると気づくと結構な散財をしていることも多いので、自分で稼いだお金とはいえ、それもちょっぴり反省しています。どうも、仕事が忙しいと買い物も増える気がいたします。これって絶対ストレス発散なのよね〜・・・ う〜ん、不本意。 それでも以前はこうやってお買い物をしてスカッとすればそれで良し!と思っていたので、やや罪悪感を感じる程度には大人になったのかしらん。それとも、素敵なモノで刹那的な幸福感は味わえても、それだけではやっぱり満たすことのできない穴というものがあることを、段々直視できるようになったと言うか。
「これ欲しい!」と思って買ってはいるものの、ストレス発散で買われた物たちって何だか可哀相です。そうやって買われた物でもお気に入りはもちろんあるし大事にしないわけではないのですが、もっと吟味され、歓迎されて買われる方が物も幸せかなー・・・なんて。って買っているのは自分なんですけれど。ストレス発散でお買い物をしているはずなのに、それをまたストレスに感じているようでは意味がわからないわ。

 そして
モノの価値はそれ自身が持っている価値に加えて外的な要因で変動しますが、ヒトである自分の価値はそうはなりたくないなあ、とも思います。状況によって、周りにたまたまいるヒトによって、身につけている物によって、オークションみたいに自分の価値が自分の中で変動するなんておかしな話。変動するのはあくまで自分の中でなので、他人がどう思っているかは知りませんが・・・。(多分、たいしてどうとも思っていないでしょう 笑)例えて言えば、つまらない石ころのような原石だろうと、輝くばかりに磨かれていようと、ダイヤはダイヤで価値があるはず。そう信じていればいいと思うのですが、でも些細なことで一喜一憂してへこんでいる自分も、たまに見つけてしまうのです。。。
ああ、周りの温度になんて揺るがない、確固たる自信を持てるようになりたいものです。ごめんなさい、今日は何だか混乱気味。