とまどい

 妊娠がわかったのは、ちょうど2ヶ月くらい前。ずっと体調が悪かったり変にむくんだりして、救急では「女性を診たら妊娠を疑え」は常識だけど、自分の場合はそうは思わなかったわけで。というより薄々そうは思っても、直視しようとしていなかったのかも。正直予定外だったので、結果がはっきりした時も「嬉しい」というよりも「どうしよう」という方が大きかったように思う。


だって私はまだ仕事の上では半人前で専門だって決まっていないし、一時期お休みするには中途半端だと自分で思っている。ひとつの疾患だってびっくりするほど違うパターンがあって、臨床はやればやるほど面白い。一応一通りのことはできて自分で動けて、以前より成長している、と実感できる時があるのもすごく面白い。
他にやりたいこともいっぱいある。旅行だってまだまだ行きたい。これからやろうとして、段々形になりそうなことだってある。

今までは「これをやりたいなあ」ってただ夢見ていたことが、勉強や経験を積んで少しは現実になりそうなところへ近づいてきて、それが私はとてもとても嬉しかった。「私の人生、いよいよこれからだ!」って思って。そしてそれらを力いっぱいやろうと思うと、どうしてもまだ『子供』の入る余地はなかった。欲張りだけど、それはもう少し落ち着いてから・・と思っていた。何か専門をもって「私はこれができます」と言えるようになって、やりたいこと経験してみてから・・と思っていた。

だからそこへ思いかけず『子供』が先に入り込んできた時、何だか自分の人生を横取りされるような気分になってしまった。子供を持つと嫌でも制限がかかることが多いのはよく見ていたから。たぶんそんなこと以上の喜びがあるのだろうということはわかっていても、まだいいや、と思っていたから。

望んでも望んでもお子さんができない人だっているのに、せっかく恵まれたのに、小児科のくせにそんなことを思うのは罰当たりだとよくわかってはいるけれど、その時の私はそう思ってしまったの。「どうしよう、この先どうなっちゃうんだろう・・」って。


周りは喜んでくれているのに、自分だけなかなかそれについていけないのは、何とも妙な気分だった。そして自分が何だかとてつもなくひどい人間な気がした。身近な人が喜んでくれること自体は、嬉しいことではあったけれど。特に家族が喜んでくれるのはやっぱりすごく嬉しかったな。


この頃は、相談した人の言葉にずいぶん助けてもらいました。自分のことのように喜んでくれたり、冷静に見てくれたり、本当に本当にどうもありがとう。おかげで私は段々と「これが今の自分の現実」と受け入れられるようになったと思う。中でも同級生の結婚式で久しぶりに会った、同じ小児科をやっている友人が
「例え10年働いててもその時はその時できっと自分の仕事を『これでいい』って納得はしていないんだから、いつ子供ができたって同じだよ。それなら早い方がいいよ。」
と言ってくれたのは忘れられない。その言葉で、本当にすっきり自分の気持ちに整理がついたと思う。彼女には本当に感謝してます。もちろん、他の友人にも。


これはきっと、神様が私に与えてくれたチャンスなのでしょうね。人間的にももっと責任を持って、広く成長しなさいと。本当なら一番に喜んであげるべきだったのに、自分のことばっかり考えるできの悪いママでごめんね。・・・と言ってもまだ実はあまり『ママ実感』はないけれど。それって女性だから急になれる、ってものではなくて、子供と一緒に段々と育っていくものなのかなあ、なんて思います。まだまだ手探り状態だけど、これからもI君と一緒にいけば何とかなるでしょー!(この台詞、ちょっと恥ずかしいけど・・・)状況が変わっても、自分がやりたいことがあれば頑張ればいい。楽しい道連れが増えてくれると思えばいい。子供を言い訳にして、自分自身に対してサボることがないように気をつけなくちゃ。

最近は「ちゃんと元気に大きくなってるかなあ」と赤ちゃんをチェックするのが楽しみ。エコーで元気に動いているのが見えると安心します。あと早く『胎動』なるものを感じてみたい今日この頃なのです。